5.2.27. イベントジェネレータモード

通常、核データを使う計算では、イベント毎のエネルギーと運動量は保存しません。モンテカルロのシミュレーションを多数回繰り返して、平均を取ると、エネルギーと運動量が保存することが保証されます。これは、核データを用いたモンテカルロシミュレーションが、一体のBoltzmann方程式を数値的に解いていることに対応しています。従って、核データを用いた計算では、一体の観測量しか計算できません。例えば、ある領域の熱量、フラックスなどです。これらは平均値です。また、モンテカルロ計算で用いる核データも一体(inclusive)のデータしか含まれていません。平均値の周りの分散は、二体以上の分布関数に関係しますから、一体のBoltzmann方程式では導くことはできません。例えば、PHITSの[t-heat]にある、depositエネルギー分布は、平均値の周りの分散ですから、二体以上の分布関数によって決まる量です。ですから、核データを用いた計算では求めることができません。反応前と反応後で入射粒子と原子核が変化しないのであれば、つまり、弾性散乱だけが起こると仮定すると、一体の情報から全てのエネルギーと運動量が決まりますから、計算できるわけです。これは極めて例外的な状況で、反応後の生成粒子が変化したり、複数になったりすると破綻します。

高エネルギーの核反応に対しては、通常、核データが整備されていないので、カスケードモデル、JAM、QMD、等の核反応モデルを利用します。これらのモデルは、ひとつの核反応毎に、エネルギー、運動量の保存したモンテカルロ手法で核反応を計算します。このような核反応モデルを用いた輸送計算は、全体として、ひとつのイベント毎にエネルギー、運動量の保存したシミュレーションになっていますから、実際の現象を模擬するという意味で、Event Generator と呼ばれています。輸送コードとして、核データを使ったシミュレーションと似ていますが、概念的には全く異なるものです。このシミュレーションでは、ひとつのイベント毎の観測量は物理的に意味を持ちません。ヒストリーで平均した量だけが物理的に意味を持ちます。平均値周りのイベントによる分散も計算できますが、これは、モンテカルロ手法の統計分散で、物理的なものではありません。物理的な分散を記述する二体以上の相関の情報が核データにも基礎となる方程式にも含まれていないからです。一方、Event Generatorでは、観測量の分散は物理的な分散に対応します。その精度の問題はありますが、全ての相関を記述している枠組みになっています。高エネルギーのシミュレーションは、大抵このEvent Generatorになっていて、一体の観測量のほかに、コインシデンス実験の解析や、測定器のレスポンス関数のシミュレーションに応用することができます。

最近、低エネルギーの中性子の関係した分野でも、従来の一体の観測量、熱量やフラックスのほかに、depositエネルギー分布、2粒子相関などの高次の相関が含まれる物理量が求められてくるようになりました。例えば、半導体素子の放射線によるソフトエラーの問題、細胞の放射線による影響の問題などは、微視的な領域でのdepositエネルギーの分散が問題になります。これらの問題に従来の核データを用いたこのシミュレーションでは対応することができません。そこで、PHITSでは、核データを使う低エネルギー領域でもEvent Generatorとしてシミュレートできるモデルを作りました。これが、e-mode = 1,2,3で実行されるEventGenerator Mode [1] [2] [3] [4] です。

このモデルの詳細は、他の論文を見ていただくこととして、ここでは、まず、モデルの概略を説明します。中性子入射反応で核データが記述するものは、全断面積、Capture、Elastic、 \((n,n')\)\((n,Nn')\) 等のチャンネル毎の断面積、それと放出粒子のinclusiveな微分断面積です。これらの情報からは、残留核の運動量、2粒子の相関などは一意に決められません。情報が足りないからです。そこで、PHITSでは、これら核データの情報を用いるとともに、特殊な統計崩壊モデルを導入しました。まず、核データのチャンネル毎の断面積を用います。次に、チャンネル毎に次のようなモデルを設定します。まず、Captureの場合、入射中性子がCaptureされた場合の融合原子核の運動量、励起エネルギーは運動学的に一意に決定されますから、この原子核に、中性子の崩壊確率をゼロにした統計崩壊を行います。この場合、光子の放出、荷電粒子の放出だけが含まれる統計崩壊を行うことになります。e-mode = 1では放出する粒子は区別されませんが、e-mode=2にすると反応チャンネルを反映して放出する粒子を決定します。たとえば、 \((n,\gamma)\) 反応なら必ず光子のみを放出、 \((n,\alpha)\) 反応ならα粒子一個と光子のみを放出する、ということになります。次に、Elasticでは、核データに従って、放出中性子の運動量を決定します。この運動量から運動学的に残留核の運動量が一意に決定されます。 \((n,n')\) では、核データに従って、まず、放出中性子の運動量を決定します。この運動量から運動学的に残留核の運動量と励起エネルギーが一意に決定されますから、この原子核に、中性子の崩壊確率をゼロにした統計崩壊を行います。Captureの時と同じように、光子の放出、荷電粒子の放出だけが含まれる統計崩壊を行うことになります。Elasticではe-mode=1,2,3で結果は同じになります。最後に、 \((n,Nn')\) 反応ですが、e-mode=1の場合はまず、核データを用いて一個目の放出中性子の運動量を決定します。この運動量から運動学的に残留核の運動量と励起エネルギーが一意に決定されますから、この原子核に、通常の統計崩壊を行います。即ち、中性子崩壊も含んだ、光子、荷電粒子の統計崩壊を行うことになります。この場合だけ、終状態の中性子の数が核データで指定された \(N\) になる保証はありませんが、そのずれは小さいことを確認しています。e-mode=2では、核データを元にした統計サンプリングを行うことで、 \(N\) 個の中性子全ての運動量を同時に決定します。この運動量から運動学的に残留核の運動量と励起エネルギーが一意に決定され、続いて光子放出のみを考慮する統計崩壊を行います。このとき終状態の中性子の数は必ず \(N\) 個となり、二個目以降の中性子の運動量も核データから決定されるため、e-mode=1より精度が上がります。このようなモデルを用いることにより、核データを用いた低エネルギーの中性子の反応も、イベント毎にエネルギー、運動量の保存したEvent Generatorになり、核データだけでは記述できなかった、残留核の運動量、2粒子相関など全ての情報がイベント毎に記述できるようになります。e-mode=3では、e-mode=2に加えて残留核の励起状態を反映した核データ(例えば(n,p)反応での600-649番のMT番号)が存在する場合にこれらの核データを反映したイベント生成を実施します。励起状態に対応した放出粒子の角度分布が核データに含まれる場合はその分布に従ってサンプリングが行われます。このため、核データに基づく高精度な放出粒子のエネルギースペクトルや角度分布の予測、そして検出器応答などでのガンマ線を除いた全エネルギー付与の予測が可能となります。

次に、e-modeを使う場合の注意点を示します。まず、dmax(2)を設定し、核データを用意し、中性子の核データによる計算を可能にします。粒子放出の精度をあげるために、原子核の基底状態の近くの励起状態の情報を必要としますので、igamma=1-3が必要になります。次に、統計崩壊モデルは、GEM 即ちnevap=3が必要です。これらは、e-mode=1,2 を指定すると自動的に設定されます(特に指定しなければigammaは2になります)。もし過去の計算と比較するなどの理由でe-mode=1, igamma=1を使いたい場合は、igamma=1としても計算はできます。

次に、e-modeを使うと可能になる新しい観測量を示します。[t-deposit]に関して、通常dmax(2)以下のエネルギーの中性子による付与エネルギーはカーマ近似によって計算しますが [5] 、e-modeを使う場合は、中性子反応から生成される2次荷電粒子や残留核の寄与を計算して付与エネルギーとします。当然この場合、中性子のカーマ近似による計算は考慮されません。[t-yield], [t-product]では、通常、dmax(2)以下のエネルギー、即ち、中性子の核データを使う領域の生成核種、生成粒子はタリーされませんが、これが可能になります。[t-dpa]は、通常dmax(2)以下のエネルギーの中性子による寄与を計算しませんが、e-modeを使うことで考慮するようになります。